南相馬へ
2013年 02月 25日
今月は、もう1回福島へ
支援金のもうひとつのお届け先、南相馬へいってきました!
木曜日仙台で前泊
牛タン、外せませんっ。本当に美味しかったです。一人でカウンターで食べたんですけど、となりの全然知らないおじさんと「美味しいですよねー!」ってうなっちゃったw
南相馬へは南相馬出身の渡部さんに案内してもらい、車で向かいます
今回南相馬へいったのは、この渡部さんから「南相馬の保育園の卒園児童21人にこぼしをプレゼントしたい!」というご依頼を受けて。
私のこぼしで喜んでくださるのならと、私は喜んでお受けしました。
私の小さいこぼしに、どんな気持ちを込めて送れるか。。。色々考えました
で、仕上げたのがこんな感じです
園児21人一人ひとりのこぼし、そして震災の時に園児を探し、訪ね、避難所をまわったよしゆき先生。今も園児達の家をボランティアで除染作業を進めている、本当に素晴らしい先生なのです。
その園児こぼしには小さなカブトをかぶせました
南相馬は歴史ある野馬追の地。震災を乗り越えたこの子達はみんな総大将!そんな思いを込めて。
そして、いちごの産地でもあると聞いていたのでいちごこぼしなども製作しました。
保育園へ向かう道の途中
津波で何もなくなった地
でも、ぽつんと残る家も
津波でいなくなったお子さんを待っているそうです
道標がなくなってしまうからと
道ができ、インフラ整備も少しづつ進みつつありますが
この地が本当に元に戻ることはありません
しかも、原発の問題。
お米や畑は塩害だけではなく、放射性物質という目に見えない恐怖で作付けは当分できそうもありません。
悲しい現実
でも、保育園であった子供達は底抜けに明るく、懐っこくて、本当に可愛い子達。
少しホッとしました
こぼしも興味もってくれ、喜んでもらってなにより
メッセージは伝わるかなんて問題より、この子達になんか励まされた感じしました。
最後に「私たち頑張ります」の園児達の言葉
頑張りますって、何をどう頑張るってことか、この子達はわかっていて
この小さな6歳の子供たちに私は色々教えられました
その後よしゆき先生と渡部さんとホッキ貝ごはんを食べに
ホッキ貝、3年分位食べたと思いますw本当に柔らかくて美味しい!
そして、ビックリするくらいのデカ盛り。
さらにさらに
しみてん。凍天と書くらしいです。
お餅の入ったドーナツ。きゃー食べれるかなぁ?と言いながら問題なく完食
すごい美味しいですよ。結構早い時間に完売してしまう、南相馬の大人気スイーツ!
渡部さんにあんないしてもらった南相馬原町区
駅前の通り野馬追の時は多くの人が集まる賑やかな通りでした
ここは案内してくれた渡部さんの生まれ育った町
美味しいラーメンやさんも友達の家も懐かしいあの道も
当たり前に訪れる事ができなくなった町
友人の家の庭はお花がいっぱいで綺麗だったと。。。
今は見てくれる人がいないから、お花は枯れ、咲きません
原発から10数キロ
4月に入れる様になりましたが、ライフラインは寸断されたまま
夜は泊まれません、駅に降りてくる人はいません
それほど線量は高くないのですが
でも原発事故はまだ終わっていません
いつ、なにがどうなるのか、色々な不安が町から人を遠ざけています
当たり前に帰れる町が当たり前に帰れなくなってもう2年です
日本の中にこんな町が、こんな状況があるということ
知らないこと、考えないでいることが罪だとおもいました
ふらめんこちゃんで集めたお金
南相馬へはよつば保育園へ除染の支援金として3万円
南相馬震災孤児支援として南相馬役場へ3万6千円をお届けしました。
現地にいかないとわからないことがあると感じた今回
私ができる支援はわずかだけども、細くても長く支援を続けていきます
支援金のもうひとつのお届け先、南相馬へいってきました!
木曜日仙台で前泊
牛タン、外せませんっ。本当に美味しかったです。一人でカウンターで食べたんですけど、となりの全然知らないおじさんと「美味しいですよねー!」ってうなっちゃったw
南相馬へは南相馬出身の渡部さんに案内してもらい、車で向かいます
今回南相馬へいったのは、この渡部さんから「南相馬の保育園の卒園児童21人にこぼしをプレゼントしたい!」というご依頼を受けて。
私のこぼしで喜んでくださるのならと、私は喜んでお受けしました。
私の小さいこぼしに、どんな気持ちを込めて送れるか。。。色々考えました
で、仕上げたのがこんな感じです
園児21人一人ひとりのこぼし、そして震災の時に園児を探し、訪ね、避難所をまわったよしゆき先生。今も園児達の家をボランティアで除染作業を進めている、本当に素晴らしい先生なのです。
その園児こぼしには小さなカブトをかぶせました
南相馬は歴史ある野馬追の地。震災を乗り越えたこの子達はみんな総大将!そんな思いを込めて。
そして、いちごの産地でもあると聞いていたのでいちごこぼしなども製作しました。
保育園へ向かう道の途中
津波で何もなくなった地
でも、ぽつんと残る家も
津波でいなくなったお子さんを待っているそうです
道標がなくなってしまうからと
道ができ、インフラ整備も少しづつ進みつつありますが
この地が本当に元に戻ることはありません
しかも、原発の問題。
お米や畑は塩害だけではなく、放射性物質という目に見えない恐怖で作付けは当分できそうもありません。
悲しい現実
でも、保育園であった子供達は底抜けに明るく、懐っこくて、本当に可愛い子達。
少しホッとしました
こぼしも興味もってくれ、喜んでもらってなにより
メッセージは伝わるかなんて問題より、この子達になんか励まされた感じしました。
最後に「私たち頑張ります」の園児達の言葉
頑張りますって、何をどう頑張るってことか、この子達はわかっていて
この小さな6歳の子供たちに私は色々教えられました
その後よしゆき先生と渡部さんとホッキ貝ごはんを食べに
ホッキ貝、3年分位食べたと思いますw本当に柔らかくて美味しい!
そして、ビックリするくらいのデカ盛り。
さらにさらに
しみてん。凍天と書くらしいです。
お餅の入ったドーナツ。きゃー食べれるかなぁ?と言いながら問題なく完食
すごい美味しいですよ。結構早い時間に完売してしまう、南相馬の大人気スイーツ!
渡部さんにあんないしてもらった南相馬原町区
駅前の通り野馬追の時は多くの人が集まる賑やかな通りでした
ここは案内してくれた渡部さんの生まれ育った町
美味しいラーメンやさんも友達の家も懐かしいあの道も
当たり前に訪れる事ができなくなった町
友人の家の庭はお花がいっぱいで綺麗だったと。。。
今は見てくれる人がいないから、お花は枯れ、咲きません
原発から10数キロ
4月に入れる様になりましたが、ライフラインは寸断されたまま
夜は泊まれません、駅に降りてくる人はいません
それほど線量は高くないのですが
でも原発事故はまだ終わっていません
いつ、なにがどうなるのか、色々な不安が町から人を遠ざけています
当たり前に帰れる町が当たり前に帰れなくなってもう2年です
日本の中にこんな町が、こんな状況があるということ
知らないこと、考えないでいることが罪だとおもいました
ふらめんこちゃんで集めたお金
南相馬へはよつば保育園へ除染の支援金として3万円
南相馬震災孤児支援として南相馬役場へ3万6千円をお届けしました。
現地にいかないとわからないことがあると感じた今回
私ができる支援はわずかだけども、細くても長く支援を続けていきます
# by spaindia | 2013-02-25 16:33